2019年9月21~23日       千葉ボランティア活動

以下 村田からの報告です。


忘れないうちに、ボランティア雑感・・・執筆:村田 憲明

 

9月21~23日、台風15号の被害の大きい千葉県の鴨川市と鋸南町で災害ボラをひとりでやってきた。ブルーシートに覆われた屋根、根こそぎ倒された巨木や大型看板、びしょぬれになり濡れてカビだらけの布団や畳…。被災された方が一日でも早く元の生活に戻れることを祈らずにはいられない。

道路にガムテープでつくられた臨時駐車場で朝飯のパンをかじって受付時間を待っている。通勤途中とおぼしき車が止まって助手席の窓が開き「ボランティアの方ですか?」「そうです」「ありがとうございます。本当に助かっています。気をつけてお願いします」とひと言。たったそれだけを伝えた50代の男性からは顔にも言葉にも感謝の気持ちが伝わってきて逆の立場でできるか自問する。

80代くらいの一人暮らし女性の家では庭や物置の使えなくなった電化製品や布団・大型家具など災害ゴミとレコードや食器や細々した一般ごみを分別。災害ゴミだけをボランティアが軽トラで仮置場まで運んだ。途中、娘さんとおぼしき方も片付けに加わり、最後は被災者のおばぁちゃん娘さん二人とボランティアの女の子が涙涙で別れを惜しみ、見ているこっちまで涙腺が緩んでくる。

風呂場で声を掛けられ30分も話を聞かせてくれた元南原小学校の校長先生は、最初に赴任した時210名で、2回目に赴任した時は34名で廃校になった。大きな被災もなく毎日この安らぎの湯へ来ている。10日間停電だったのにろうそくの火が消えたら寝て、昼間はラジオのおかげで大相撲が好きになったと笑う。

 被災地にひとりで行く。知らない被災した家で初めての仲間とボラ汗を流す。

押し入れを開けるとカビの胞子が舞い、変な匂いでむせ返る。そんな非日常の中で出会った相手を、暗い車の中でメモをつけながらいろいろ考える。そんな時間が長野に戻っても少しだけ続く。仕事や生活に追われ目の前のことだけをこなす日常から、見ず知らずの辛苦を想像し、解決しないであろう想いを少しだけ深く考える。寝不足にはなるが嫌いではない時間だ。

 

 あくまで個人的感想と意見であるが気になったので記録する。

千葉県人と話をして驚いたことは自治会の区費を払ってないという。もちろん公民館費も育成会費も自主防災費も払ってないという。F市のボラさんは毎月町内会費を300円払っているだけという。地区で何をしているか知らないし興味もないらしい。K市のボラさんは自助・共助・公助と言われるが、自分の地区は自助と公助しかない。災害がない温暖な気候だから千葉県人は一本背骨がないという。

西日本豪雨の災害で行った呉の災害ボラセンは、区長や自治会関係者・消防団が忙しそうに動き回っていた。けど鴨川も鋸南町も災害ボランティアセンターにいるのは地元社協と茨木県や品川のチョッキを着たスタッフと技術系のボラさんだ。どこかにいるのだろうけど、ボラセンでも被災した家々でも結局地元の役員さんを見かけることはなかった。

なんとなく隣人とのトラブルを避ける為、平時は関係を持たず干渉もしないされない関わらない、地域で解決せず行政にまかせる。災害はないから地域では文句を言わず、近所と問題を起こさないよう穏やかに過ごす。自分のことは自分で何とかする。災害ゴミは無料で引き取ってもらえるように罹災証明書をもらって自分の車で運ぶ。運べない人は業者に頼む。隣人や地域には頼らないし頼まない。 素直でない自分は、千葉県の県民性をそんな風に想像してしまうのであった。

もし自助・近所・共助・公助が必要でお金に例えるなら、公助は市町村税。共助が区費や公民館費。近所が日常の挨拶やおしゃべり、ちょっとしたおすそ分け。自助は非常食や発電機や丈夫な家や地震保険かもしれない。自分はどれだけの対価を安心安全に払っているだろうか。自分は共助にいくら払っているのだろうか。どれだけ地域の力になっているだろうか。自治会費は我が家族にとって高いのか安いのか? 引っ越して12年、一度も上がらぬ自治会費に役員の苦労も少しだけ思うのであった。(来年も据え置いて欲しいけどね)

 

 大きな被災地には技術系のボランティア団体さんがいる。普段は大工や重機の運転手や木こりだったり、全然別の職業だったりする。いざ大きな災害が起きると、車で1週間も2週間も寝起きしながら、チームで屋根に登ってシートを張ったり、倒れた木をチェンソーで切ったり、重機やダンプを使って土砂を取り除いたりする。中心になる人がいて、広島や福島や熊本からホントに全国から、熱い言葉を背負ったTシャツでやってくる。一人親方もいれば、週末や有休を使ってやってくる人もいる。ガソリン代も宿泊もすべて自分持ち。だから熱いし無理もする。チームのリーダーは仲間との絆がめちゃ強い。たまに一緒にさせてもらうと安全意識や技術的なレベル、施主(被災者)とのコミニケションに気になることも多いけど、ホントによくやっているし普段の生活は大丈夫なのかと余計な事も思う。だから現場監督として手も出す口も出す自分は、なかなかチームには馴染めない。自分の腕(技術)でボラしてる姿は羨ましくもあるけど、そんなに長期間休めないし、やる覚悟もない。被災地には必ず必要で彼らの活動は多くの高齢者や被災者の助けになっている。昔の自分を振り返りながら、助成金や補助金に頼らずとも、彼ら自身も努力して活動が継続できるような社会でありたいと思う。彼らへの支援金の寄付もどうぞよろしく。